マメかぁさん。は今日も生きづらい

内向型&ハードモード人生。生きづらい私のためのボヤき沼。

回顧録⑥:区役所へ相談。まさかの認可保育園に入園出来る?!

前回はこちら。

mamekaasan10.hatenablog.jp

 

友人と別れた後、私の頭の中は保育園のことでいっぱいだった。

 

しかし、時は既に3月。

4月入園の申し込みはとっくに終わっているだろう。

 

一時保育を行なっている保育園に

週の1〜2日でも預けてはどうか?

仕事はどうする?やはり在宅ワークか?

 

今まで八方塞がりだった自分の頭の中に

一気に色んな選択肢が思い浮かんだ。

 

自分一人で考えていても仕方ないと思い、

数日後に最寄りの区役所の担当窓口を訪れた。

 

それて、担当者に事情を説明したところ、

驚きの返事が返ってきた。

 

娘さんの0歳児クラスはまだ欠員が出ている認可保育園が

 いくつかあるので5月入園が可能ですよ。

 

と。

 

この返事に私は度肝を抜かれた。

と言うのも、私は2つの勘違いをしていたからだ。

 

まず、「途中入園」が出来るということを知らなかった。

4月の一斉入園だけが保育園に入園出来るタイミングだと思っていたのだ。

欠員が出ていれば「途中入園」が可能なのである。

 

次に、これは本当に無知すぎる勘違いなのだが、

私は自分の娘が「1歳児クラス」に該当すると思っていたのだ。

 

娘の誕生日は4月2日。

保育園に入園する4月以降は1歳になっているので

「1歳児クラス」なのだとばかりと思っていた。

 

「1歳児クラス」と言えば、

世間では「激戦区」と言われるクラス。

 

それが、これまで私は娘を保育園に預けるという

選択肢を持たなかった所以でもある。

 

そして、クラスは4月1日時点の年齢で決まるということを

この時初めて知ったのだ。

つまり、4月2日生まれの娘はギリギリ0歳児クラス

 

しかも、この2021年度はコロナの影響で

0歳児クラスへの入園希望者が例年よりも少なく

全体の倍率も1を切っており、

 

人気の高い認可保育園やこども園をいくつかを除き、

欠員が出ている認可保育園の方が多かった。

 

こちらが保育園に「選ばれる」のではなく

こちらが保育園を「選べる」状況だったのだ。

 

こんな状況は珍しいと区役所の担当者も言っていた。

 

0歳児クラスに預けたい親にとっては、

いわば「当たり年」だったのだ。

 

※ちなみに激戦区の1歳児クラスでさえ0歳児クラス程ではないが

 欠員が出ている認可保育園は若干ではあるがあった。

 

「一時保育でも利用できればそれでいい」

と思っていた私にとって、まるで降って沸いた吉報だった。

 

私の場合はこの当時は無職で、

しかも今後正社員になる(なれる)可能性はほぼ低い。

 

 

どう考えても来年の1歳児クラスで認可保育園に入れるとは思えない。

それならば0歳児クラスの今、入園させるしかないと思った。

 

それにしても、私は「保育園」のことを本当に知らなさすぎた。

そして、この後も「事前の情報収集」の大事さを思い知らされていく。。。

フリマアプリで得た教訓。目先の小さな得を取ろうとすると後々大損するかも。というお話

先日、久しぶりにフリマアプリで商品を購入した。

 

フリマアプリは数年前から1社だけアカウントを持っているが、

利用自体は購入者側として過去たった2回。

 

当初は出品のためにアカウントを作ったが、

めちゃくちゃな値段交渉をされたり、

「購入したい」というメッセージを送ってきたにも関わらず

結局そのまま音沙汰なし…といったことがあり、

 

その数少ない経験だけでも非常にイライラしたので

自分には合わないと分かり、あまり利用しないようにしていた。

 

では、なぜ今回久しぶりに利用したかというと

娘のおもちゃを購入するためだった。

 

先日、キッズ専門店のDADWAYが運営する

有料のキッズスペースに娘を連れて行った。

 

その時娘は、そのキッズスペースにあった

ある楽器のおもちゃをとても気に入っていた。

 

実は数ヶ月前にもこのキッズスペースに来たことがあるのだが、

その時も娘はこのおもちゃばかりで遊んでいた。

 

それほど気に入っているようなら買ってあげようと考えた。

 

商品の値段は約4000円だった。

 

許容範囲の値段ではあったが、基本的に娘は平日保育園で過ごすし、

いつこのおもちゃに飽きられるかも分からない。

 

以前にそこそこいい値段のするおもちゃを新品で買い与えたが

すぐに飽きられた経験があるからだ。

 

そこで「新品にこだわる必要はないのでは?」と思い

フリマアプリで検索したところ、運よく出品されていた。

 

値段は送料込みで2000円。

中古品ではあったものの商品画像を見る限りでは状態も良さそうだ。

 

 

購入前に出品者ともメッセージのやりとりをしたが、

メッセージへの返信も早く、言葉遣いも丁寧で悪い印象はなかった。

 

ところが。。。

 

当初、商品情報には「1〜2日以内に発送」と記載されていたのだが

その期限を過ぎても発送されない。

 

連絡をすると、

「コロナの影響で最寄りの郵便局が時短営業しており、

 営業時間内に行くことが難しい」

との返事だった。

 

皆、様々な状況や環境下で過ごしているため

相手がそう言うのなら仕方がないが、

 

あえて言うと、そのような事情があるのなら

先に伝えておいて欲しかった。

 

ただ、「出来る限り早く発送する」と言ってくれたので

そのまま待つことにした。

 

そして昨日、先方から発送完了の連絡が来たのだが、

取引画面を見てみると商品の発送状況や追跡番号が確認出来なかった。

 

「まさか…」と嫌な予感がした。

 

そこで、

「商品の発送状況を確認したいので追跡番号を教えて欲しい」

と再度先方に連絡した。

 

すると先方からは、

ゆうパックで送ったので追跡番号が分からない」

との辻褄が合わない返事がきた。

 

この時点で私の嫌な予感はほぼ確認に変わり、

イライラもどんどん増していたが、何とか怒りを抑えて

 

ゆうパックの控え伝票に荷物の問い合わせ番号が書いてあるから

 その番号を教えて欲しい」

と伝えた。

 

すると相手から

ゆうパックではなく、定形外の間違いだった」

との返事がきた。

 

あーーーーやっぱりやっぱりやっぱりやっぱり。。。

 

私の嫌な予感は当たっていた。

発送完了と共に発送状況が分からない時点で

「まさか追跡なしの方法で送っているのでは…」と思ったからだ。

 

ちなみに今回の購入商品だが、

横幅だけで言うと30cm以上はあるサイズ感で

衝撃などで破損の可能性もある素材も使われている。

 

事前に発送方法を確認していなかった私にも落ち度はあるが、

まさか普通郵便で送るとは思わなかったのだ。

 

先方には

「送料を安くしたい気持ちは分かるが、この商品の特徴上、

 追跡や補償のない普通郵便は不向きだと思う。

 万が一、商品が届かないor届いても破損があった場合は

 出品者都合による取引キャンセルor返品をさせていただきたいので

 予め了承して欲しい」

と言う旨を伝えた。

 

すると先方から

「プチプチを巻いてるから大丈夫です」

との返事がきた。

 

・・・いや、問題はそこではないのだが。

 

発送状況が分からないと言うことは、

仮にこちらに商品が届いていたとしても

私が「届いていない」と言えば

それが嘘だ調べる手段が先方にも無いと言うことだ。

 

自分の方にこそリスクがあるということが分からないのだろうか?

 

宅配便で発送した場合と比べると

数百円は自分の手取りが多くなると思うが、

その数百円のためにこのトラブルリスクを負うのだ。

 

これはもう、各々の価値観・考え方の違いとしか言いようがない。

 

私は目先の数百円のためだけに

こんなリスクは絶対に取りたくはないが、

相手にとってはそれが「当たり前」だし「問題なし」なのだ。

 

これ以上やり取りしても

こちらの怒りの感情が助長するだけだと思い、

先方とのやり取りはこれで止めることにした。

 

この経緯から得た教訓として、

 

「目先の小さな得を取ろうとすると、

 後々で大損が待っているかもしれない。」

 

と言うことだ。

 

これは先方にも言えることだし、

私自身にも言えることだ。

 

後々にAm●zonでこのおもちゃが

2000円よりは高いが、定価よりも安く売られていたことが分かった。

 

もちろん新品だし、発送も翌日だ。

 

たった数百円出していれば

今回のような怒りの感情が発生する体験を回避出来ていたのだ。

 

久しぶりにフリマアプリを利用して

やっぱり私とは相性が悪いのだと再確認。

 

多少コストが発生しても

リスク回避が出来るなら極力お金で解決する。

 

避けられるリスクは極力避けるに限るのだ。

アラフォーママに似合う洋服とは?というお話

私は洋服が好きだ。

 

今までの人生において

一番お金を注ぎ込んできたのは

間違いなく「洋服」だろう。

 

娘を出産するまでは

毎月何かしらは洋服にお金を使っていた。

 

しかし、娘を出産してから

買いたいと思う洋服がめっきり減った。

 

その理由として、

 

自分の収入が減り、

自分のために使うお金の使い方に

慎重になっていることもあるが、

 

小さい子供の子育てに向いている

オシャレな洋服は意外と少ないということが

出産してから分かった。

 

まず、子育てに向いている洋服の条件とは、

 

①動きやすさ

②洗濯のしやすさ

③丈夫な素材

 

だろう。

 

出産前に好んでよく着ていた

コンサバなタイトスカートは動きづらく、

繊細なシルク素材やレースがついたブラウスは

小さい子供と一緒ではとてもじゃないけど着られない。

 

そうなってくると、残される選択肢は

コットン・リネンなどの自然素材を使った

カジュアル系やナチュラル系の洋服になるのだが、

 

年齢的にこういった系統の服は

一歩間違えるとヨレヨレ感が出たり

土っぽい汚らしい感じになってしまうので

匙加減が非常に難しい。

 

年齢やライフステージの変化とともに

洋服選びの指針も変わってくるが、

 

年齢を重ねて分かったことは、

ある程度の年齢になると洋服選びで重要になってくるのは

「清潔感」と「程よい上品さ」だということ。

 

そういう訳で、

最近は欲しいと思える洋服があまりないのだが、

 

そんな中でも個人的に

「この洋服なら買ってもいい」と思える洋服が比較的あるのが、

 

mizuiroind・MIDIUMISOLID・Midiumiを展開する

MARcourt」だ。

 

実はここの洋服、

(全部ではないと思うが)日本製のものが結構多い。

しかも、その割には比較的手に届きやすい価格帯なのだ。

 

もちろん、

ファストファッションやプチプラブランドと比較すると高いが、

百貨店にもテナントを持つブランドにしては良心的な値段だと思う。

 

洋服のテイストは

全体的にナチュラル・シンプルなものが多いが

ほんの少しモード感も感じられる。

 

先日、MIDIUMISOLIDの

ノースリーブのロングトップスを購入した。

 

一枚でトップスとしても着られるし、

Tシャツ・カットソー・セーターなどの上に重ねて

ベストのようにも着られる。

 

ロング丈なのでボトムスも

スカートでもパンツでも何でも合う。

 

色はブラックだが、

素材はコットンと化繊の混合なので

コットン100%と比べると埃も付きづらく、

洗濯してもシワになりにくいのがいい。

 

合わせるアイテムや小物によっては

カジュアル使いも出来るし、ドレッシーにも出来る。

 

久しぶりに使い回しが効く洋服を見つけられて

かなり満足度の高い買い物となった。

挨拶って絶対しないとダメ?正義感を持つと生きづらい。というお話

以前の記事で、自分は「二極化の思考癖が強い」と書いた。
mamekaasan10.hatenablog.jp

 

それと近いが、自分は正義感も強いと思う。

 

ここで私が言う正義感とは、

人として正しいことをしよう」という気持ち・姿勢のこと。

 

このように書くと、ほとんどの人が

大なり小なり正義感を持っているのではないかと思う。

 

以前とある匿名サイトを見ていた時、

「付き合わない方がいいヤバい人の特徴」

みたいなのを書き込むトピックが人気になっていた。

 

そのトピックをザッと見ていると

「挨拶をしない人」

という書き込みが一番多くあった。

 

それを見ていた当時の私は

「分かる分かる」と共感していた。

 

しかし、今改めて思うのは、

「挨拶をしない人」と書き込んだ人達というのは、

 

「一度でもメンタルがギリギリの極限状態まで

 追い込まれた経験がない人」

「人として正しく生きようという正義感が強い人」

 

ではないかと感じる。

 

話は変わるが、私は分譲マンションに住んでいる。

今の住まいに引っ越してきたのは6年前だ。

 

我が家の上階住人は

丸々ワンフロアを占めて住んでおり、男児が2人いる。

 

私が引っ越してきた当時、

その家の子供達は小学年低学年と幼稚園児だった。

 

自宅に居るとしょっちゅう子供達の走り回る音が聞こえた。

 

しかし、当時の我が家は共働きで

平日の日中は仕事で自宅を不在にしているし、

 

子供達の年齢を考えると

「今の年齢だと仕方ない。子供が大きくなるにつれて騒音も減るだろう」

そう考えていた。

 

しかし、私の予想は大きく外れた。

 

あれから6年が経った。

当初は小学年低学年と幼稚園児だった兄弟も

今では中学生と小学校高学年だ。

 

マシになると思っていた騒音は

むしろ年を重ねるにつれて悪化していた。

 

まず、騒音の音が大きくなった。

成長につれて兄弟達も力が強くなっているのだ。

 

次に、騒音が聞こえる時間帯が遅くなった。

以前は主に日中や、

夜は遅くても21時くらいまでに聴こえることが多かったが、

兄弟達も成長するにつれて塾や部活やらで

活動時間帯がどんどん伸びているのだ。

 

今は21時以降や、酷い時は23時過ぎまで

大きな物音が聞こえるようになっている。

 

しかも、物を落としたとか

思わず扉を強く開け閉めしたとか

そういう不可抗力で出てしまう生活音ではない。

 

さすがにそれは「迷惑行為」であろう。

それに、兄弟達だってある程度分別が分かる年齢だ。

 

当初はマンションの管理会社に事情を説明し、

マンション住民全員への注意喚起という間接的な方法で

張り紙を出してもらった。

 

しかし、それは全く効果がなかった。

 

マンションの管理会社も

これ以上の対応は面倒なようで

あとは当人同士で話し合って下さいという感じだったので

仕方なく上階の住人へ直接伝えることにした。

 

ただ、直接伝えるのはこちらも気を遣う。

そのため口頭ではなく書面にした。

 

迷惑を被っているのはこちらなのに

何度も何度も推敲して

相当頭を低くした丁重な言葉選びを心がけた。

 

書面を出した翌日、

自宅ポストに先方から返事の手紙が入っていた。

 

私の宛名が書かれたその手書きの文字は

メモの走り書きか?と思ってしまうほど読みづらい文字だった。

 

それからの展開と今日に至るまでの経緯は省略するが、

騒音は未だに続いていてる。

 

注意してもしばらくは静かになるが、

1ヶ月もしないうちにまた騒音を出す、その繰り返しだ。

 

しかも、時々マンションでその住人家族と

顔を合わす機会があるのだが、

騒音に関しては全く触れてこない。

 

家族全員、もう、アホ。

今はそう飲み込まないとやってられない。。

 

ちなみに、こんな迷惑な家族であるが、

そこの世帯主は世間では高収入で有名な職業。

 

マンション管理費や駐車場代といった維持費だけに

月10万(年間120万)お支払い出来る経済力があるが、

 

それならば戸建てに住んだ方が

その120万から固定資産税を引いてもお釣りが出るくらいだし、

何より自分たちが気兼ねなく騒音を出すことも出来るので

そっちの方がハッピーじゃない?と素人目には思ってしまうのだが、

そうしない理由には素人の私には分からない理由があるのだろう。

 

ここでようやくブログタイトルに話が戻る。

 

ある日を境に、私は上階の住人達と顔を合わせても

挨拶をしなくなった。

 

向こうから挨拶があったとしても。

相手が大人でも、子供でも。

 

「大人気ない」「人として最低」と言われても、

そもそも先方の言動に問題がある。

 

当初はかなり気を遣い、言葉を選び、

こちらが下手に出ながら騒音を出さないようにお願いしていた。

 

しかし、結局そのようなこちらの態度は

相手をつけ上がらせるだけだった。

 

「すみません」という言葉は美しい日本語の一つであるが、

この言葉は使いすぎるとかえって

「この人は自分よりも下の立場だ」と相手に思わせてしまう場合がある。

 

こんな人達のためになぜこちらだけ

「人として正しく生きよう」と思わなくてはいけないのか?

 

私はこの人達に「いい人」と思われたいのか?

 

別に嫌われたって

「この人は人としてヤバイ」と思われたって

いいのではないか?

 

また、上階住人と顔を合わすと

途端に怒りの感情が込み上げてくるようになっている。

会話をしたところで攻撃的にしかならないだろう。

 

そうであるなら、黙って挨拶すらしない方がよほど穏便だ。

これは自分にとっても相手にとっても「防衛」行為だと思っている。

 

「人として正しく、綺麗に生きたい」

 

その正義感はとても素晴らしいけど。

その正義感を持っていると生きづらくなる場合がある。

 

今日はそんなお話。

回顧録⑤:友人との再会。そして、保活への可能性に気づく。

2021年2月。

 

娘もあと2ヶ月で1歳になる。

日毎に育児もハードになり、私の育児への疲労も増えていた。

私のメンタル不調は相変わらずで、その頃も頻繁に夫と喧嘩をしていた。

 

そんなある日、隣県に住む学生時代の友人から

久しぶりにLINEが送られてきた。

 

彼女は元々遠方に住んでいたのだが、

旦那さんの転勤で私の隣県に移り住んできた。

 

大学卒業後はTV業界でバリバリ働いていた子だったが、

引っ越しに伴い仕事は辞めて専業主婦となり妊活をして、

私よりも半年ほど早く出産した。

 

彼女からのLINEには

「4月から保育園に預けて仕事復帰するの?」

といった内容が書かれていた。

 

それを見て私は

「やっぱりそこを聞いてきたな」と思った。

 

彼女と最後に会ったのは

彼女が隣県に引っ越してきて間もない頃。

当時、私はまだ前職の会社員だった。

 

そして、彼女には会社を辞めたことをずっと話していなかった。

 

別に隠す必要はなかったので

「会社は出産前に辞めた。4月以降も自宅保育をする予定だ。」

といった内容を彼女に返した。

 

それから数日後、彼女からまたLINEが送られてきた。

「今後、会えないか?」と。

 

私も日々の育児にメンタルが煮詰まっていたので

気分転換がてら、彼女の誘いに応じた。

 

そして、久しぶりに彼女と再会した。

 

時々行っていたLINEのやり取りからも感じてはいたが、

彼女は私以上に育児ノイローゼに陥っており

見るからに彼女からは疲労が滲み出ていた。

 

彼女曰く、私が会社を辞めていて

4月以降も自宅保育をする立場だと知った時に

嬉しかったのだそう。

 

と言うのも、

彼女が公園や支援センターで知り合ったママ友達は

この4月から仕事復帰をする人たちばかり。

 

無職の自分と比べて彼女達は復帰出来る場所がある。

その羨ましさから彼女達に対して

劣等感や疎外感を感じていたのだそう。

 

そんな中、私が自分と同じ境遇だと分かり、

仲間意識を感じて会いたくなったのだろう。

 

しかし、彼女は「4月から子供を保育園に預ける」と言う。

私は驚いた。「無職なのに何故?!」と。

 

すると、彼女は「今、求職活動中」だと言った。

 

厳密に言うと、求職活動中は保育園の利用は一時的に過ぎず、

決められた期限までに仕事が見つからないと退園になるそうだ。

 

彼女の地域は待機児童率が非常に高く、

4月から1歳児クラスに入園する子供を持つ彼女は

ようやく補欠で1枠空いた保育園に何とか入園が決まったのだそう。

 

保育園が見つかるまでは相当メンタルがやられたと言っていた。

 

私は目から鱗状態で彼女の話を聞いていた。

 

仕事についていなくても求職活動中であれば

保育園に預けられるということを私はこの時初めて知ったからだ。

 

と言うのも、私は保育園に関して全くの無知だった。

前職を辞めた時は「働く」ことにウンザリしていて

当面はもう専業主婦でいいと思っていた。

 

娘を出産した時も、幼稚園に入園するまでは

自宅保育でいいと思っていた。

 

そもそも、保育園とは

「仕事を既に持っている保護者のため」という認識だった。

 

だから、無職の自分には無縁の場所だと思い込み、

保育園に関しては何ひとつリサーチをしていなかったのだ。

 

なので、彼女の話を聞いて

「無職の私にも『子供を保育園に預ける』という可能性があるのでは?」

と、この時初めて気がついたのだ。

 

それは、ここ数ヶ月

産後鬱や育児ノイローゼの症状に悩まされ、

極限状態だった私への一筋の希望の光のように感じた。

全部自分のせいじゃなく、誰かや何かのせいにしたっていい。というお話

私は神経質な性格だ。

 

おまけに物事を0か100か、白か黒かで考える

二極化の思考癖も強い。

 

私の学力のピークは中学生の時だ。

 

あれは確か中学一年生の

一学期の期末試験の頃だったと思う。

 

それまでも成績自体はそれほど悪い方ではなく、

一生懸命勉強しなくても

中の上ぐらいのポジションには居た気がする。

 

それが一学期の期末試験の時に

初めてしっかりとテスト対策をして臨んだところ、

学年5位以内の成績を取った。

 

これには自分も驚いたし、

何より一番驚いたのは担任をはじめとする学校の先生達だった。

 

というのも、私は中学一年になって早々、

クラスの担任の先生に対して反抗的な態度をとっており、

担任だけでなく学校の先生達から

「要注意生徒」として認識されていたからである。

 

少し本気を出しただけでトップ5に入れたのだ。

それがきっかけで私はみるみる勉強にハマり出した。

 

そして、次の試験では学年1位になった。

 

これが決め手となり、先生達の中での私の認識も

「要注意生徒」から「優等生」へと変わった。

 

当時は勉強がとても楽しかった。

やればやるだけ良い点数、良い順位が得られる。

 

多少不真面目な行動をしても

先生達から注意されることもなかった。

 

それから中学を卒業するまでは

テストは全教科常に90点以上、順位もトップ5をキープした。

 

その学力に陰りが見え始めたのは高校に入ってすぐのことだ。

 

私が入学したのは進学校の中でも特進クラスだった。

簡単に言うと、高校のレベルに全くついていけなくなったのだ。

 

特に破滅的だったのが理数科目だった。

得意だった英語は何とか通用していたが、

中学の頃までは見たこともないような

酷い点数のテスト結果を見るたびに

「もう自分はダメだ…」と何もかも自暴自棄になってしまった。

 

今思うと、これも「二極化思考」だったのだろう。

 

たとえ一般科目がダメだったとしても、

美術、家庭科、音楽などと科目は他にあったのだ。

違う科目に自分の適性や興味を見つけることも出来たかもしれない。

 

別に学校で教えられることが全てではない。

学校以外でも自分の適性や興味のカケラはあっただろうに

 

当時の私は

「学校の勉強についていけない=全てがダメ」だと

頑なに思い込んでしまっていたのだ。

 

ところで、なぜ中学生の時の話をしたかと言うと、

中学生の時からもう20年近く経とうとしているが、

私はいまだに「やればやるだけ出来た、中学生の頃の自分」が

「本来の自分」だと思っているところがあるからだ。

 

しかし、社会人になると学生のように

「努力した分だけ報われる」なんてことは

小数ケースだということに気付かされる。

 

どちらかと言うと

処世術のスキルの方が試される。

 

残念なことに私は処世術のスキルが全くなく、

その上「努力した分だけ報われる」という学生気分な感覚を

ずっと持ち続けていた。

 

だから、「出来ない」理由は

「自分のせい」「自分の努力が足りない」からだと

ずっと思っていた。

 

原因は全て自分にあると考えていた。

 

しかし、ここ最近になって

その考え方は違うのでは?と思うようになってきた。

 

原因は全て自分にあるとして、自分で自分を責めたところで、

一度たりとも状況が良くなっていないことにようやく気がついた。

 

むしろ、自分で自分を責めることで自己肯定感は下がり、

「どうせ私なんて…」という意識に覆われる。

 

私は幸せになりたいはずなのに、

自分で自分を下げ、可能性を制限し、

更なる負のスパイラルに陥っているではないか。

 

鉄は叩けば叩くほど強くなるというが、私は逆だ。

叩けば叩くほど「ワタシ」は脆くなっていった。

 

先日、夫が長期出張のため

二週間近くワンオペ育児をすることになった。

 

ワンオペ育児になって5日目のことだった。

 

色々な、本当に色々な要素が重なり、

私のメンタルはついに崩壊し、感情が止めどなく溢れ出た。

 

夫が帰ってくるまでにはまだ一週間以上もある。

そんなにも待っていられない。

 

そんなに待っていたら、

娘や、自分自身に対して、

どんな行動を取るか分からない。

 

それぐらいの極限状態にいた。

 

出張先の夫に電話をかけ、

「今すぐ帰ってきてほしい。もう限界だ。」

と号泣しながら懇願した。

 

幸いなことに、夫はすぐ上司に相談してくれ、

その翌日には帰ってきてくれることになった。

 

今までの私ならば

「何故私はこんなに弱い人間なんだ」

「夫に迷惑をかける自分は何て悪い妻なんだ」

と、自分に100%非があると思っていただろう。

 

しかし、果たして本当にそうなのだろうか?

 

長期間ワンオペ育児を強いた夫や夫の会社にも原因はあるし、

体調不良になって私の負担をさらに増やした娘にも原因はあるし、

少しの発熱で娘の預かり拒否をする融通の利かない保育園にも原因はある。

 

私だけが悪いのではない。私だけが原因ではないのだ

 

むしろ、これだけの悪要素が重なった中で

よく6日間も耐えたくらいだ。

 

私は力の限りやった。

むしろ、私は絶対に悪くない。

 

もちろん、リアル生活の中では

そのようなことは口に出して言ったりしないが、

心の中ではそれぐらいの気持ちでいたって良いくらいだ。

 

ここ最近、

無差別殺人未遂事件や子供の虐待死という

悲惨な事件が起きている。

 

犯人のその行為は決して許されるものではない。

 

ただ、「犯人だけが全て悪い」という考え方も

違うような気がする。

 

要因は複合的に絡み合う。

 

私自身は「夫」というセーフティネットがあるおかげで

何とか今は保っていけているが、

そのセーフティネットだっていつどのように崩壊するかは分からない。

 

現に私は、ワンオペ育児でメンタルが崩壊した時、

言うことを聞かない娘に対して初めて手を出した。

 

か弱なその小さな身体は、

私が少し本気で叩いただけでグニャリと倒れた。

 

その直後に、けたたましく号泣し始めた娘。

 

その鳴き声は耳障りで仕方がなかった。

 

「黙らせたい」

その思いに駆られ、さらに手を出しそうになった。

 

何とか一回手を出しただけでその時は終われたが、

私と、その犯人達との違いは紙一重ではないか。

 

「自分のせいだ」

「自分が不甲斐ないからだ」

「自分の努力不足だ」

 

そう自分を追いつめて、

その怒りを自分や他者に対してぶつけて破滅的になるのなら、

 

「自分一人だけでのせいじゃない。

 誰かや何かのせいでもある。

 むしろ、自分はよくやった。自分は絶対悪くない」

 

そう思えるようになった方が

自分自身がほんの少しでも楽に生きられるのではないだろうか。

 

今日はそんなお話。

回顧録④:出産、そして、産後鬱になる。

2020年4月某日。

私は娘を出産した。

 

出産予定日間近となった検診で

羊水過少であることが分かり、即日入院。

そして、2日に渡って陣痛促進剤を使って分娩をした。

 

分娩後、助産師は

「陣痛促進剤を使った陣痛も自然分娩の陣痛も変わらない」

と言っていたが、これは絶対に嘘だと思った。

 

よく「出産の痛みは忘れる」と聞くが、

私はいまだに忘れていない。

 

陣痛が起きている上に

更に促進剤を投薬される痛み・苦しみは尋常ではなく、

 

その上、陣痛で苦しむ私に対して

「促進剤追加しま〜す」と言った、

助産師の嬉々とした表情や声のトーンが憎たらしくて仕方なかった。

 

そして、産後入院の退院後。

私は実家に里帰りすることなく、

夫と二人で子育てをすることにしていた。

 

ちょうどコロナの第一回緊急事態宣言中だったこともあるが、

仲の悪い両親の居る実家に帰ったところで

余計にストレスが溜まるだけだと思った。

 

うちの母親は家事があまり得意な人ではなく、

料理に関しては特にひどかった。

私や娘に対して丁寧な身の代わりの世話なんて期待が出来なかった。

 

また、父母共に人を傷つける言葉を使うことが多く

それで対立することが多かった。

 

それならば自宅で夫婦2人で

自分達のペースで子育てをした方がいい。

そう考えた。

 

安心して里帰り出来る環境や

両親が助けに来てくるサポート体制に恵まれた人に対する

羨ましさはいまだにある。

 

ただ、他人と比較しても仕方がない。

 

「私の人生ではそういう両親・環境に恵まれなかった」

 

ただ、それだけ。

その現実を飲み込んでいくしかないのだ。

 

産後3ヶ月くらいまでは

慣れない育児や夜間の授乳・おむつ交換などで大変だった。

ただ、夫も渾身的に協力してくれたこともあり、

事前に聞いていた「産後鬱」みたいな症状はなかった。

 

むしろ、少し慣れてくると、

 

「思っていたより育児ラクショーじゃん。

 鬱になりやすい性格だから心配してたけど

 このままだと産後鬱の心配もなさそう」

 

とすら思っていた。

 

今思うと、それが産後のハイ状態だったのだろう。

 

自分の心身の調子がおかしくなり出したのが

産後5ヶ月を過ぎたあたりだった。

 

まず9月から約1ヶ月ほど、顔が大荒れする。

(当時は病院で「脂漏性湿疹」と診断されていたが、

 もしかするとこの時点で「酒さ」だったのかもしれない)

 

そして10月以降からは気分の浮き沈みが激しくなる。

 

些細なことで激昂するようになり、

一方で、自分自身に対して無力感・無価値感を感じるようになり

「自分は何のために生きているのか」「死にたい」

という気持ちが強く出るようになってきた。

 

実際、夫には何度も「死にたい」と言っていた。

 

この時になってようやく

「誰のサポートなしで子育てをする」大変さを実感した。

 

朝晩は自宅に夫がいるものの、日中は娘とずっと二人きり。

 

低月齢の頃は娘も日中寝ている時間が多かったが、

徐々に起きている時間が長くなってきた。

 

また、寝返り・ハイハイ・つかまり立ちなどが

順々に出来るようになってくると

いよいよ目を離せなくなってきた。

 

「自分の予想通りに行かない」

「自分の努力が報われない」

「自分があれこれ最善を尽くしても、そんなのお構いなしに自己主張してくる」

 

子供とはまさにそれだ。

そんな存在とずっと付きっきりで自分の自由が制限されている。

 

そんな状態が産後からずっと続いているのだ。

私のメンタルが限界を超えていた。

 

一番の被害者は夫だった。

唯一のストレスの捌け口として攻撃的になり、

数えきれないくらい夫婦喧嘩をした。

 

お互いの口から

「別居」「離婚」というワードも何度も出た。

 

そんな状態が半年ほど続いた。

2020年9月からの月日は本当にしんどかった。