マメかぁさん。は今日も生きづらい

内向型&ハードモード人生。生きづらい私のためのボヤき沼。

挨拶って絶対しないとダメ?正義感を持つと生きづらい。というお話

以前の記事で、自分は「二極化の思考癖が強い」と書いた。
mamekaasan10.hatenablog.jp

 

それと近いが、自分は正義感も強いと思う。

 

ここで私が言う正義感とは、

人として正しいことをしよう」という気持ち・姿勢のこと。

 

このように書くと、ほとんどの人が

大なり小なり正義感を持っているのではないかと思う。

 

以前とある匿名サイトを見ていた時、

「付き合わない方がいいヤバい人の特徴」

みたいなのを書き込むトピックが人気になっていた。

 

そのトピックをザッと見ていると

「挨拶をしない人」

という書き込みが一番多くあった。

 

それを見ていた当時の私は

「分かる分かる」と共感していた。

 

しかし、今改めて思うのは、

「挨拶をしない人」と書き込んだ人達というのは、

 

「一度でもメンタルがギリギリの極限状態まで

 追い込まれた経験がない人」

「人として正しく生きようという正義感が強い人」

 

ではないかと感じる。

 

話は変わるが、私は分譲マンションに住んでいる。

今の住まいに引っ越してきたのは6年前だ。

 

我が家の上階住人は

丸々ワンフロアを占めて住んでおり、男児が2人いる。

 

私が引っ越してきた当時、

その家の子供達は小学年低学年と幼稚園児だった。

 

自宅に居るとしょっちゅう子供達の走り回る音が聞こえた。

 

しかし、当時の我が家は共働きで

平日の日中は仕事で自宅を不在にしているし、

 

子供達の年齢を考えると

「今の年齢だと仕方ない。子供が大きくなるにつれて騒音も減るだろう」

そう考えていた。

 

しかし、私の予想は大きく外れた。

 

あれから6年が経った。

当初は小学年低学年と幼稚園児だった兄弟も

今では中学生と小学校高学年だ。

 

マシになると思っていた騒音は

むしろ年を重ねるにつれて悪化していた。

 

まず、騒音の音が大きくなった。

成長につれて兄弟達も力が強くなっているのだ。

 

次に、騒音が聞こえる時間帯が遅くなった。

以前は主に日中や、

夜は遅くても21時くらいまでに聴こえることが多かったが、

兄弟達も成長するにつれて塾や部活やらで

活動時間帯がどんどん伸びているのだ。

 

今は21時以降や、酷い時は23時過ぎまで

大きな物音が聞こえるようになっている。

 

しかも、物を落としたとか

思わず扉を強く開け閉めしたとか

そういう不可抗力で出てしまう生活音ではない。

 

さすがにそれは「迷惑行為」であろう。

それに、兄弟達だってある程度分別が分かる年齢だ。

 

当初はマンションの管理会社に事情を説明し、

マンション住民全員への注意喚起という間接的な方法で

張り紙を出してもらった。

 

しかし、それは全く効果がなかった。

 

マンションの管理会社も

これ以上の対応は面倒なようで

あとは当人同士で話し合って下さいという感じだったので

仕方なく上階の住人へ直接伝えることにした。

 

ただ、直接伝えるのはこちらも気を遣う。

そのため口頭ではなく書面にした。

 

迷惑を被っているのはこちらなのに

何度も何度も推敲して

相当頭を低くした丁重な言葉選びを心がけた。

 

書面を出した翌日、

自宅ポストに先方から返事の手紙が入っていた。

 

私の宛名が書かれたその手書きの文字は

メモの走り書きか?と思ってしまうほど読みづらい文字だった。

 

それからの展開と今日に至るまでの経緯は省略するが、

騒音は未だに続いていてる。

 

注意してもしばらくは静かになるが、

1ヶ月もしないうちにまた騒音を出す、その繰り返しだ。

 

しかも、時々マンションでその住人家族と

顔を合わす機会があるのだが、

騒音に関しては全く触れてこない。

 

家族全員、もう、アホ。

今はそう飲み込まないとやってられない。。

 

ちなみに、こんな迷惑な家族であるが、

そこの世帯主は世間では高収入で有名な職業。

 

マンション管理費や駐車場代といった維持費だけに

月10万(年間120万)お支払い出来る経済力があるが、

 

それならば戸建てに住んだ方が

その120万から固定資産税を引いてもお釣りが出るくらいだし、

何より自分たちが気兼ねなく騒音を出すことも出来るので

そっちの方がハッピーじゃない?と素人目には思ってしまうのだが、

そうしない理由には素人の私には分からない理由があるのだろう。

 

ここでようやくブログタイトルに話が戻る。

 

ある日を境に、私は上階の住人達と顔を合わせても

挨拶をしなくなった。

 

向こうから挨拶があったとしても。

相手が大人でも、子供でも。

 

「大人気ない」「人として最低」と言われても、

そもそも先方の言動に問題がある。

 

当初はかなり気を遣い、言葉を選び、

こちらが下手に出ながら騒音を出さないようにお願いしていた。

 

しかし、結局そのようなこちらの態度は

相手をつけ上がらせるだけだった。

 

「すみません」という言葉は美しい日本語の一つであるが、

この言葉は使いすぎるとかえって

「この人は自分よりも下の立場だ」と相手に思わせてしまう場合がある。

 

こんな人達のためになぜこちらだけ

「人として正しく生きよう」と思わなくてはいけないのか?

 

私はこの人達に「いい人」と思われたいのか?

 

別に嫌われたって

「この人は人としてヤバイ」と思われたって

いいのではないか?

 

また、上階住人と顔を合わすと

途端に怒りの感情が込み上げてくるようになっている。

会話をしたところで攻撃的にしかならないだろう。

 

そうであるなら、黙って挨拶すらしない方がよほど穏便だ。

これは自分にとっても相手にとっても「防衛」行為だと思っている。

 

「人として正しく、綺麗に生きたい」

 

その正義感はとても素晴らしいけど。

その正義感を持っていると生きづらくなる場合がある。

 

今日はそんなお話。