マメかぁさん。は今日も生きづらい

内向型&ハードモード人生。生きづらい私のためのボヤき沼。

肌荒れは脂漏性湿疹ではなく酒さだった。というお話

3〜4年程前から皮膚科に通院している。

 

最初は背中ニキビに悩んで通い始めたけど、

アレルギー性蕁麻疹や敏感肌による赤い発疹もあったりする。

 

そしてここ数年は、生理前や季節の変わり目に

主に顔の頬に赤み・痒み・毛穴の開きが頻繁に出るようになった。

病院では「脂漏性湿疹」だと診断されていた。

 

そして、先日皮膚科を新しく変えてみた。

以前通っていた皮膚科は恐ろしく待ち時間が長い上に、

医師・受付スタッフの対応がどんどん偉そうになってきて

我慢の限界が来たのだ。

 

新しい皮膚科では、

今まで「脂漏性湿疹」だと思っていた症状が

「酒さ」だと診断された。

 

しかも、今まで脂漏性湿疹の治療に使っていた

ステロイド軟膏が症状悪化の原因になっていたとのこと!!

 

自分はアンチ・ステロイド派ではないが、

この話を聞いた時は流石に

「やっぱりステロイドって怖いんだな…」

と感じた。

 

使い方次第なんでしょうが、かなりの諸刃の剣ですよね。

 

それからはステロイドは完全NGとなった。

代わりに処方されたのが「アクアチム軟膏」。

 

内服薬は、以前の病院でも処方されていた

痒みや蕁麻疹対策の「ザイザル(抗アレルギー剤)」と

ニキビ対策の「ルリッド(抗生物質)」を継続で。

 

以前の病院では「桂枝茯苓丸加薏苡仁」が処方されていて

何となく自分には合ってる気がしていたのだが、

今回の病院では「加味逍遙散」に変えられた。

 

アクアチムを塗りだして

最初の1,2日は効いてる気がした。

 

しかし、数日経つと

赤み・痒み・毛穴の開きが目立ってきた。

 

ネットで調べると、

ステロイドを辞めた時に出るリバウンド症状の一種らしい。

 

加えて「加味逍遙散」も何となく合ってない気がする。

感覚的なことなのだが、

私はどうも「加味逍遙散」があまり好きではなく、

「桂枝茯苓丸加薏苡仁」に比べると

お守り的な安心感がないのだ。

 

そこで、初診からまだ一週間しか経過していなかったが

お盆の長期休暇中に更に肌が悪化すると嫌なので、

休暇に入る前の昨日再受診をした。

 

事情を説明し、

「桂枝茯苓丸加薏苡仁」を追加で出してもらったが

「加味逍遙散」は引き続き服用してほしいとのこと。

 

また、軟膏は「アクアチム」の代わりに

「プロペド(ワセリン)」を処方された。

 

個人的には痒みに一番悩んでいるのだが、

それは外用薬ではなく

内服薬(ザイザル)で対処してとのことだった。

 

酒さはかなり治療に根気が必要らしく、

良くなったり悪くなったりを繰り返すらしい。

 

こういう時、

肌が丈夫な体質に生まれたかったと心底思う。

 

ちなみに私は虚弱体質で

色んな病院を利用しているが、

ダントツで苦手なのが「皮膚科」。

 

まず、待ち時間が異常に長い。

新しい皮膚科はWEB予約を導入しているので

そこが気に入って選んだ。

以前の皮膚科は待ち時間が2〜3時間は当たり前だった。

 

次に、医師に癖の強い人が多い気がする。

余程悪い病院でない限りたいして努力しなくても

患者が途切れることはない分野だからか、

横柄な態度の医師が多い気がする。

 

新しい皮膚科の医師が正にそんな感じ。

 

今の時代に合わせたシステムを迅速に導入しているが、

反面、患者に対して寄り添う人間味があまり無い。

自分の言いたいことや正論を

ただ理論的に並べて話すといった感じ。

 

間違ったことは言ってないのだが、

「その言い方はどうなの…」と思うことが多々ある。

 

以前の皮膚科は

医師含め全体的に高齢化が進んだ病院だったので、

WEB予約などは勿論なかったが、

まだ人間味みたいなものはあった気がする。

 

なかなか上手くいかないものだ。

 

 

「医師の人柄・診察内容が良い」

「待ち時間対策をしている」

 

この2つが両立する皮膚科って早々ない。

どちらかは我慢するしかない。

 

個人的には医師との相性は重要。

受付スタッフや看護師に癖があっても最悪我慢できるけど、

医師に対して不信感があると

診察内容な処方薬に対してまで疑心暗鬼になってしまう。

 

という訳で、またしても皮膚科を転院しようか悩み中。

でも、イチから説明&関係性を構築するのが面倒臭いんだよね…

 

それよりも、酒さ治ってくれるといいなぁ。

本当に本当に肌の丈夫な体質に生まれたかった。泣

回顧録③:順調な妊活と妊娠生活

2019年6月某日。

 

その日は私の34歳の誕生日。

そして、とある総合病院で入院の手続きをしていた。

 

会社の退社理由の一つが「妊活」だったこともあり、

数年ぶりに婦人科で検診を受けたところ

子宮内ポリープが見つかったのだ。

 

ポリープ自体は悪性ではないものの、

妊娠を希望しているのであれば

ポリープは無いに越したことはないということで

摘出手術を行うために入院することになったのだ。

 

まさか自分の誕生日に入院することになるなんて…。

34歳は一体どんな一年になるのだろう。

果たして良くなるのか、悪くなるのか…。

 

手術自体は何事もなく終わり、術後の経過も良好だった。

 

そして、7月末のこと。

妊娠していることが分かった。

 

手術後、一ヶ月を過ぎた排卵期に

タイミング法を行なったのだが、

まさかその一回で妊娠できるとは思っておらず、

これにはかかりつけの婦人科医も驚いていた。

 

※後に、子宮内膜ポリープ手術をした直後は

妊娠しやすいのだと産婦人科医に教えてもらった。

 

 

今思うと、出産までの妊娠生活は

ここ数年の自分の人生の中では

最も心お穏やかに過ごせた時間だったかもしれない。

 

自分の給料はゼロになったものの、

夫の仕事が忙しかったので夫の給料だけでも

夫婦2人だけなら何とか過ごすことが出来ていたし、

 

私もそれまでの貯金があったので

お金に対する心配はほとんど無かった。

 

仕事や対人関係による心労から解放され、

ずっとやってみたかった習い事教室にも通ってみた。

 

つわりによる体調が思わしくない時期もあったけど、

調子が良い時期は興味のあるセミナーや講習にも参加し、

行きたいところにも足を運び、積極的に行動していた。

 

当時はコロナ前だったので、夫と一緒に国内旅行もした。

 

何より、妊娠していることで色んな人から

「おめでとう」という言葉をかけてもらった。

 

仕事のキャリアが思うように積めず、

迷走ばかりしていたここ数年。

 

ずっと仕事でのキャリアを求めていたけれど、

「自分は外で働くのは不向きで、

専業主婦の方が向いているのかもしれない。」

 

そんな風に感じた。

 

そして、

この心穏やかな日々がこのまま続けばいいのに…。

 

そう願わずにはいられなかった。

回顧録②:マメかぁさん。は正社員になりたかった。

私の職務経歴書は、一言で言うと「汚い」。

 

大学4年生の時は酷く情緒不安定で、

あの頃の自分にはとてもじゃないけど就活なんて出来る余裕がなかった。

 

大学も単位はギリギリ状態での卒業だった。

父親は私が大学卒業できると分かった時、

電話越しで泣いていたほどだった。

 

大学卒業後はフリーターとして、

当時好きだった古着のショップ店員をしていた。

でも、数ヶ月でクビになった。

 

元々その古着屋が好きだった訳でないし、

情緒不安定なメンタルから職務怠慢な態度が出ていたのだと思う。

 

古着屋をクビになった後、

ようやく私は初めての就職活動をした。

 

新卒ではないものの第二新卒

内定先はすぐに決まった。

とあるメーカーの零細企業だった。

 

今ならよく分かるが、この時点ではまだ自分が「選べる」状態だったのだ。

だけど私は一社内定をもらってすぐに就活を辞めた。

 

とにかく「目先の欲しい結果」が手に入ればそれでいい。

 

この性格が後々の人生に大きく響いてくるのだが、

当時の未熟な私には知るよしもない。

 

この会社は、当初正社員での内定予定だった。

しかし、私は「契約社員」となった。

 

研修期間に私の教育係だった先輩と

折り合いが悪くなったのが原因だったと思う。

 

コミュニケーション能力に疑問を感じられたのだろう。

それで研修期間終了後に正社員となるはずが、

一年間契約社員となることになった。

 

対人関係や世渡りが下手なのは今も変わらない。

当時は情緒不安定で感情のコントロールが出来ず、

また、社会や仕事そのものを舐めていた部分も大いにあった。

 

でも、今になって分かるが、私にももちろん責任はある。

しかし、私が居た「環境」そのものにも責任があった。

 

「環境によって人は良い方向へ開花することもあれば、

悪い方向へと自滅していくこともある」

 

この意味がよく分かる。

 

結局、この会社も1年足らずで退社した。

 

退社後、情緒不安定な心身の治療のため、

私はしばらく傷病手当金をもらいながら休業していた。

 

これまた今になって思うのだが、

この時に職業訓練などに通って

何か新しい資格や技術の取得をしていたら良かったのに、

 

私は「自分は一人でも出来る人間」だと勘違いして

自営業を始めたのだ。

 

とにかく、精神疾患の病院通いの無職という状態が嫌だった。

人に胸を張って「私はこういう仕事をしてます」と言える、

そんな仕事がすぐにでも欲しかったのだ。

 

しかし、私は経営のノウハウも何も持っていない。

当然の如くその自営業も赤字が続き、結局2年で廃業した。

唯一の幸いは借金はせず、自己資金内で済んだことだろう。

 

その後も何度か転職を繰り返す。

 

廃業後に内定をもらったのは、これまた零細企業。

しかし、その会社も人間関係や仕事内容が合わず、

試用期間内で退社することに。

 

その次は初めて派遣会社を初めて利用した。

薬品関係の会社でのデータ入力の仕事だった。

 

その会社は1年勤めたが、契約満了期に合わせて辞めた。

同じ配属先に、感情の浮き沈みが酷く激しい

イジメ魔のような派遣社員が居たのだ。

 

立場の強い人や自分のお気に入りの人にはゴマをするが、

それ以外の人にはキツく当たる。

 

しかも、ある日突然その人の「標的」にされるのだ。

 

私もそうだった。

昨日まで普通に接していたのに、

その日から突然私に対するその人の態度が変わった。

 

その人の波がおさまるのを

おとなしく待てば良かったのかもしれないが、

 

その人以外にも業務時間中に堂々と長時間サボったりする人がいたりと、

「仕事に対するモチベーションが低い人達」が多く、

当時の私はこれ以上の長居は無理だった。

 

その次も派遣社員として転職したが、

転職先は日本でも有名な某大手会社だった。

 

ここでは、これまでで一番長い2年間勤務した。

 

ここでも人間関係や仕事内容に色々あったものの、

やはり大手ならではの「余裕」みたいなものが

今まで勤めてきた会社とは違って感じられ、

それが自分にしては長く勤められた要因だと思う。

 

この時、私は33歳だった。

この会社を辞めた理由の一つは「正社員になりたかった」からだ。

 

年齢的に正社員を狙える転職活動を出来るのは

今しかないと感じた。

 

正社員にこだわる理由は、

やはり自分が今まで一度も正社員になったことがなかったからだ。

 

仕事を短期間でコロコロと何度も変え、

「社会への適応能力がないダメな人間」だという自己イメージを

何とかして打ち崩したかった。

 

大手会社で2年勤め、職場から仕事ぶりもある程度評価してもらい、

「自分は出来る人間」とさらに思い上がっていたのだ。

本当は自分の実力だけでなく、環境のおかげであった部分も大きかったのに。

 

正社員の転職活動はやはり大変だった。

年齢的なこともあるが、そもそも職務経歴書が汚い。

 

本当はやってはいけないことだが、

実は職務経歴書は多少見栄えが良くなるように誤魔化してもいた。

それでも書類審査で落ちることが多かったけど。

 

そうしてようやく正社員として内定をもらったのが

前回ブログに書いた家族経営の零細企業だった。

 

本来希望していた職種ではなかった。

当時、親身になって相談に乗ってくれていた

ハローワークの職員さんから

「本当にその会社でいいの?もう少し転職活動続けてみたら?」

と言われた。

 

だけど結局、私はまたもや

「目先の欲しい結果」が手に入れることが出来て

それで満足してしまったのだ。

 

今思うと最初から違和感が多い会社だった。

経営陣との最終面接や試用期間。

 

違和感だらけだったが、

ようやく手に入れた正社員という立場を何としてでも維持したかった。

 

それに、この当時は自分自身に対して

仕事を短期間でコロコロと何度も変える

「社会への適応能力がないダメな人間」という

ネガティブな自己イメージの方が強く、

会社という「環境」の方が悪いという考えは全くなかった。

 

だけど、結局は長く持たなかった。

 

辞める時は流石に悩んだ。

年齢的に正社員になれるのはこれが最後かもしれない。

 

母親に相談した時もやはり反対気味だった。

母は4人の子供を育てながら定年まで勤めあげた

いわばワーキングママである。

 

「会社自体を辞めるんじゃなく、

妊娠して産休育休に入ればいいのに」

 

そう言われた。

 

確かに賢い(?)やり方なのかもしれない。

ただ、メンタルは弱いくせに義務感や責任感だけは強い自分には

そんなことはできなかった。

そう自分の都合よく上手に世渡りなんて出来なかった。

 

ちょうど夫と結婚して10年の節目を目前としていた。

 

元々、機能不全な家庭で育ったこともあり、

子供が欲しいという願望は正直あまりない人間で、

どちらかというと仕事のキャリアを積みたいタイプだった。

 

しかし、こうも仕事をコロコロ変える自分を見て流石に、

自分がキャリア向きの人間でないことが嫌でも自覚出来た。

 

毎日働くための気力体力のキャパが少ない。

マルチタスクは苦手。

プロ意識は高く短期的には質の高い仕事が出来るが、

その分プライドが高い。

0か100かの極端思考で、グレーゾーンが極めて狭い。

他人にも厳しくなりがちで対人関係で衝突がおこりがち。

 

よほど良い上司や環境に恵まれない限り、

自分にはそもそも組織勤めが難しいということが分かった。

 

 

 しかも、これまで選んできた職場がどこも

気力体力忍耐力を求められるような体育会系のところばかり。

自分の性質に合わない環境ばかり選んでいる。

 

それで結局長く続かず、

自分が悪いのだと自己イメージがまた低くなる。

 

そんな負のループばかりを積み重ねてきた。

私のこれまでの職務経歴はそんなものだった。

 

自分がコレだ!と思った道の先はいつも行き止まり。

安心して長く歩ける道なんて、私の人生で一度も現れたことがない。

何度も何度もつまづく。

 

私の「正解の道」は一体いつになったら現れるのだろうか。

一生現れないのだろうか。

一生懸命考え、悩み、傷だらけになりながらも

何度も何度も立ち上がって歩んでいるのに。

 

神様はどうして私の人生をこんなものにするんだろう。

 

この時の私には再び立ち上がる気力はなかった。

 

キャリアを積むことは諦め、正社員を辞め、

建前上、「妊活」という道に逃げたのだった。

回顧録①:マメかぁさん。正社員を辞める

今日からまた一週間がスタート。

そして、昨日から8月がスタート。

 

6月7月は散々な出来事が続き、心身共にボロボロ…。

そして今月は夫の長期出張により、月の約半分がワンオペ育児となる予定。

なので今月は体調を整えることも目的に、

仕事は一旦休業して家事育児だけに専念する予定です。

 

ところで、以前にも書きましたが

私の仕事はフリーランスのグラフィックデザイナーです。

(一応、個人事業主

 

私がなぜフリーランスのグラフィックデザイナーになったのか、

その過去の経緯を書いていこうかと思います。

 

誰かに読んで欲しいというよりも、

 

「自分の過去を書き出すことで

自分自身が自分と向き合って気持ちの整理をしたい。」

 

そんな意図です。

拙い文章ですが、自分一人でずっと抱えていた感情を

洗いざらい出したいと思います。

 

それでは、回顧録スタートです。

 

- - - 

 

2019年4月某日。

その日、私は勤めていた会社の最終出勤日。

 

毎日行われる定例の朝礼で

私は全社員の前で退社の挨拶をした。

 

自分が何を喋ったのかはもう覚えていないけれど、

全社員の顔を見ながら

 

「これだけ自分が考えに考えたこの言葉は、

きっと誰にも響いていないんだろうな…」

 

そう思いながら喋っていたのだけはうっすら覚えている。

 

勤めていた会社は家族経営の零細企業だった。

退社の理由は簡単に言えば、主に人間関係や仕事内容との不一致。

 

家族経営の会社が全てそうではないとは思うが、

そこは家族経営の会社にありがちな自浄作用の全くないところだった。

 

昇進するのは経営陣に好かれた人ばかり。

長く勤めている人は経営陣に従う人や、

年齢などが理由で他に行き場がなく経営陣に従わざるを得ない人達ばかり。

まるで新興宗教団体に近い会社だった。

 

なので、常識的な感覚や心優しい性格を持っている人達は数年と持たない。

「自分が悪いからいけないのだ」

「自分が弱いからいけないのだ」

そんな間違った思い込みを抱えてしまい、心身が潰され、

数ヶ月に一人のペースで次々と辞めていた。

 

かくいう私もその一人だ。

この会社に居続けたら間違いなく心身が潰れると感じた。

 

そして、

「あぁ、私はまた、間違った道を選んでしまった」

と感じた。

 

占いからでも分かるマメかぁさん。の生きづらさ

辛い時、苦しい時、生きづらい時、

占いやスピリチュアルな世界に縋りつきたくなるのは

人の性ではないだろうか。

 

かく言うマメかぁさん。も占いが好き。

 

スピリチュアルも嫌いではないけど

ハイヤーセルフ系は正直よく分からないし、

「大丈夫!何でも思い通りになるから☆」的な

キラキラ引き寄せ系はどうにも苦手…。

 

で、占いについては

個人的には四柱推命が一番当たってる気がしている。

 

きっかけは数年前。

当時も今同様生きづらさと一心同体に生きていて、

仕事や今後のことで悩んでいる時に

ある四柱推命の占い師に鑑定してもらった。

 

そしたら、まあ、当たる当たる。

自分の命式や年運大運が

見事に自分の生きづらい人生を表していた。

 

そこから、あくまで自分のこの生きづらさを理解するために

趣味の範囲内でちょこちょこ独学をしている。(鑑定はやってない)

 

ちなみに、私の命式がこれ。

 

時日月年

×乙辛乙

×亥巳丑

 

出生時刻は不明だけど、

母親の記憶によると午前中に帝王切開手術したらしいので

時柱は「辛巳」あたりか?

 

で、この命式。

例えるなら、水の少ないカラッカラに乾いた土で

根っこなしで生えている花。みたいなイメージ。

さらにはカミソリでキリキリ傷をつけられているような状態…。

 

そら生きづらいわな!!!!っていうね(涙)

 

火が多くて、短気で飽き性。

 水が少なくて、気持ちに余裕がない。

通根がないから、継続力もない。

 

そして、社会性を表す月干は

「乙」にとって悪星である「辛」だから

他人からは神経質&繊細な印象に見られやすい。

 

もうヤだ。当たりすぎ・・・(涙)

 

そして40歳までの大運が「乙酉」と最悪。。。

乙同士が絡み合うわ、悪星の「金」が更に強化されて

ノイローゼになりやすい運勢。

 

そしてそして、もっと最悪なのが

41〜50歳の大運が「丙戌」であること。

 

ただでさえ水を求める命式なのに、

水を潰す乾土が一気にのしかかって来るんだから…

 

リアルに私、50歳まで生きられるのかな…?と思ってます。。。

少なくとも離婚や仕事が長続きしない運勢に傾きやすいので

肝に銘じておかねばと思ってます。。。

 

2021年の年運「辛丑」も正直あまりよろしくない。

去年の「庚子」ほどじゃなかったけど。

去年は産後鬱がすごかった…。

子年じゃなかったらどうなってたんだろう…。

 

そして、7月から11月上旬までの月運が

 

乙未→丙申→丁酉→戊戌

 

と、火・金・土が強くなる巡り。

まだまだしんどい時期が続くなぁ。。。

 

という訳で、

占いからでも分かるマメかぁさん。の生きづらさでした。

マメかぁさん。は肌荒れがきっかけで朝からネガティブ沼にハマる。

夏は嫌いだ。

早朝からけたたましく鳴く蝉の声を聞くだけでウンザリする。

 

おまけに今日は朝から肌の調子も悪い。

せっかく治りつつあった顔の脂漏性湿疹がまた悪化してきた。

痒みと赤みが不快で何もする気が起きない。

 

去年出産してからというもの、PMSと脂漏性湿疹が一段と酷くなった。

 

去年の9月なんて、顔と首に酷い脂漏性湿疹が出て

ほぼ丸1ヶ月間痒みと赤みに悩まされた。

 

鏡を見るのが苦痛で仕方ないのに、

少しでも症状が良くなっていないか鏡を見ずにはいられない。

 

ちょうど産後鬱が出始めた時期だったこともあり、

一生このまま汚い肌のままなのではと毎日鬱々と過ごしていた。

 

その時期と比較すると今回の脂漏性湿疹はまだ軽度なものだけど、

それでも痒みは不快だし、赤みと毛穴の開きが目立つ肌を見るのは嫌だ。

 

自分の生きづらい思考が年々悪化しているので、

自分の意識改革と救いを求めて最近ブッダ関連の書籍を読んでいる。

 

ゴリゴリポジティブ系の自己啓発本

キラキラ引き寄せ系のスピリチュアル本も読んでみたものの

どれも自分には合わなかったが、

それらに比べるとまだマイルド(?)で読みやすい。

 

ただ、

「外的要素に対して(過剰に)心が反応しないようにする」

「ありのままを受け入れる」

といった内容が書かれていたのだが、

 

頭では分かってはいるが、これが一番難しい。

言われて「はい分かりました」とスルッと出来るような人間なら

こんな生きづらい人生送ってないがなと言いたくなる。(言ったけど)

 

「今の現実は思っていた自分と違う」

 

毎日そんなことばかり考えている。

 

でも、36歳になり、子供も出来て、

自分の限界というものが嫌でも分かるようになってきた。

 

「年齢は関係ない」

「自分で限界を作ってはいけない」

 

そうは言えるのは、気力体力・境遇などが

平均的〜平均より上くらい持ってる人なのではないか?

 

気に入らない現実を変えようとする努力もせず

他人のせいにしたり、他人に甘えたり。

 

でも、高い理想を抱えては

「この現実は自分の理想と違う」と嘆いて

自分で勝手にストレスを感じている。

 

要は私は、ただのプライドだけ高いあかんたれな人間なのだ。

 

午前中からこんなブログをグダグダと書いている。

わざわざ全世界に向けて公開する内容じゃないことは自分が一番よく分かっている。

 

ただ、自分のこの鬱々とした気持ちをポコっと吐き出したい。

そして、こんなあかんたれな私だけど、

今日も何とか生きている証みたいなものを残したい。

 

承認欲求と言われたらそうなのだけど。

 

でも、宇宙並に広大なインターネットの世界なら

それくらいなら寛大に許してくれるんじゃないかと。

 

マメかぁさん。は今日も生きづらいです。

マメかぁさん。は生きづらすぎてブログを書き始めることにした。

2021年7月28日。

東京オリンピック真っ只中の2021年7月28日。

前日には女子ソフトボールが金メダルを獲得した2021年7月28日。

 

この日、マメかぁさん。は生きづらすぎてブログを書き始めることにした。

 

ブログを書く目的はただひとつ。

「毎日が生きづらすぎて、しんどすぎて、どこかに吐き出さないといよいよヤバくなったから。」

 

なので、このブログではひたすら自分の隠の部分を吐き出しまくります。

もう、ズブズブのネガティブ沼です。

 

言霊?そんなもんは全無視です。

しんどいものはしんどい。

 

他の人からどう思われる?そんなもんも全無視です。

星の数ほどあるブログ。そのほんの片隅で私がネガティブを叫んだところで、逆に一体誰が気にするんだ?

 

当初、ブログのタイトルも

「マメかぁさん。は早く人生が終わってほしいと毎日思っている」

にしようかと思ってました。

 

何か、最近ちょっと流行りの韓国系自己啓発本のタイトルにありそうで

エッジが効いてオシャレにも見えなくもないかなって。

 

ただ、これは流石に希死念慮が出過ぎていて

死にたい願望強めのブログと思われそうだったので却下。

 

生きづらい私のために書くブログですが、

初投稿なので少しだけ自己紹介を書こうと思います。

 

マメかぁさん。と言います。

本厄真っ最中の36歳女性。

最近の口癖は「厄払い行った方がいいかな」。

 

ちなみにこの「マメかぁさん。」というスーパートンチキな名前。

縁起の良い画数になるように実は数日かけて(!)考えました。

 

とにかく縁起を担げるなら何だってやる。

それぐらい切羽詰まってるんだ俺は。

 

 性格は最近っぽく言うと、内向型の繊細さん。

「繊細さん」だなんて、ゆるふわな感じで表現される時代が来るなんて思ってませんでしたよ。

多様性バンザイ。

 

夫と去年出産した女の子(1歳)との3人+猫1匹で

近畿圏で暮らしてます。

 

夫は、リモートワークどころか働き方改革って言葉を知らんのか?と

言いたくなるような職場で働いてる上に、

両親・義両親ともに遠方&折り合いが悪い仲なので

ほぼワンオペ育児やってます。

 

私の育児の唯一の味方である「保育園」のおかげで

毎日何とか生き延びてます。

 

職業はフリーランスのグラフィックデザイナーです。

開業届も出してて一応個人事業主なんです。

 

肩書きは何だかカッコいいでしょ?

でも、これ、表向きだけなんで。

 

実際は無職同然。

最近の一番の悩みは、今後の仕事のこと。お金のこと。

何考えても答えが出ない悩みを考えるって本当につらい。

 

両親、仕事、結婚生活、子育て、人付き合い…。

生まれる時に何をとち狂ったのか

人生のあらゆる項目をハードモード設定にしてしまいました。てへぺろ

 

初投稿はこれくらいにして、

次回からは数年前に話を遡って私のハードモードな人生を振り返っていきます。

 

マメかぁさん。は今日も生きづらい。

どうぞよろしくお願いします。