マメかぁさん。は今日も生きづらい

内向型&ハードモード人生。生きづらい私のためのボヤき沼。

全部自分のせいじゃなく、誰かや何かのせいにしたっていい。というお話

私は神経質な性格だ。

 

おまけに物事を0か100か、白か黒かで考える

二極化の思考癖も強い。

 

私の学力のピークは中学生の時だ。

 

あれは確か中学一年生の

一学期の期末試験の頃だったと思う。

 

それまでも成績自体はそれほど悪い方ではなく、

一生懸命勉強しなくても

中の上ぐらいのポジションには居た気がする。

 

それが一学期の期末試験の時に

初めてしっかりとテスト対策をして臨んだところ、

学年5位以内の成績を取った。

 

これには自分も驚いたし、

何より一番驚いたのは担任をはじめとする学校の先生達だった。

 

というのも、私は中学一年になって早々、

クラスの担任の先生に対して反抗的な態度をとっており、

担任だけでなく学校の先生達から

「要注意生徒」として認識されていたからである。

 

少し本気を出しただけでトップ5に入れたのだ。

それがきっかけで私はみるみる勉強にハマり出した。

 

そして、次の試験では学年1位になった。

 

これが決め手となり、先生達の中での私の認識も

「要注意生徒」から「優等生」へと変わった。

 

当時は勉強がとても楽しかった。

やればやるだけ良い点数、良い順位が得られる。

 

多少不真面目な行動をしても

先生達から注意されることもなかった。

 

それから中学を卒業するまでは

テストは全教科常に90点以上、順位もトップ5をキープした。

 

その学力に陰りが見え始めたのは高校に入ってすぐのことだ。

 

私が入学したのは進学校の中でも特進クラスだった。

簡単に言うと、高校のレベルに全くついていけなくなったのだ。

 

特に破滅的だったのが理数科目だった。

得意だった英語は何とか通用していたが、

中学の頃までは見たこともないような

酷い点数のテスト結果を見るたびに

「もう自分はダメだ…」と何もかも自暴自棄になってしまった。

 

今思うと、これも「二極化思考」だったのだろう。

 

たとえ一般科目がダメだったとしても、

美術、家庭科、音楽などと科目は他にあったのだ。

違う科目に自分の適性や興味を見つけることも出来たかもしれない。

 

別に学校で教えられることが全てではない。

学校以外でも自分の適性や興味のカケラはあっただろうに

 

当時の私は

「学校の勉強についていけない=全てがダメ」だと

頑なに思い込んでしまっていたのだ。

 

ところで、なぜ中学生の時の話をしたかと言うと、

中学生の時からもう20年近く経とうとしているが、

私はいまだに「やればやるだけ出来た、中学生の頃の自分」が

「本来の自分」だと思っているところがあるからだ。

 

しかし、社会人になると学生のように

「努力した分だけ報われる」なんてことは

小数ケースだということに気付かされる。

 

どちらかと言うと

処世術のスキルの方が試される。

 

残念なことに私は処世術のスキルが全くなく、

その上「努力した分だけ報われる」という学生気分な感覚を

ずっと持ち続けていた。

 

だから、「出来ない」理由は

「自分のせい」「自分の努力が足りない」からだと

ずっと思っていた。

 

原因は全て自分にあると考えていた。

 

しかし、ここ最近になって

その考え方は違うのでは?と思うようになってきた。

 

原因は全て自分にあるとして、自分で自分を責めたところで、

一度たりとも状況が良くなっていないことにようやく気がついた。

 

むしろ、自分で自分を責めることで自己肯定感は下がり、

「どうせ私なんて…」という意識に覆われる。

 

私は幸せになりたいはずなのに、

自分で自分を下げ、可能性を制限し、

更なる負のスパイラルに陥っているではないか。

 

鉄は叩けば叩くほど強くなるというが、私は逆だ。

叩けば叩くほど「ワタシ」は脆くなっていった。

 

先日、夫が長期出張のため

二週間近くワンオペ育児をすることになった。

 

ワンオペ育児になって5日目のことだった。

 

色々な、本当に色々な要素が重なり、

私のメンタルはついに崩壊し、感情が止めどなく溢れ出た。

 

夫が帰ってくるまでにはまだ一週間以上もある。

そんなにも待っていられない。

 

そんなに待っていたら、

娘や、自分自身に対して、

どんな行動を取るか分からない。

 

それぐらいの極限状態にいた。

 

出張先の夫に電話をかけ、

「今すぐ帰ってきてほしい。もう限界だ。」

と号泣しながら懇願した。

 

幸いなことに、夫はすぐ上司に相談してくれ、

その翌日には帰ってきてくれることになった。

 

今までの私ならば

「何故私はこんなに弱い人間なんだ」

「夫に迷惑をかける自分は何て悪い妻なんだ」

と、自分に100%非があると思っていただろう。

 

しかし、果たして本当にそうなのだろうか?

 

長期間ワンオペ育児を強いた夫や夫の会社にも原因はあるし、

体調不良になって私の負担をさらに増やした娘にも原因はあるし、

少しの発熱で娘の預かり拒否をする融通の利かない保育園にも原因はある。

 

私だけが悪いのではない。私だけが原因ではないのだ

 

むしろ、これだけの悪要素が重なった中で

よく6日間も耐えたくらいだ。

 

私は力の限りやった。

むしろ、私は絶対に悪くない。

 

もちろん、リアル生活の中では

そのようなことは口に出して言ったりしないが、

心の中ではそれぐらいの気持ちでいたって良いくらいだ。

 

ここ最近、

無差別殺人未遂事件や子供の虐待死という

悲惨な事件が起きている。

 

犯人のその行為は決して許されるものではない。

 

ただ、「犯人だけが全て悪い」という考え方も

違うような気がする。

 

要因は複合的に絡み合う。

 

私自身は「夫」というセーフティネットがあるおかげで

何とか今は保っていけているが、

そのセーフティネットだっていつどのように崩壊するかは分からない。

 

現に私は、ワンオペ育児でメンタルが崩壊した時、

言うことを聞かない娘に対して初めて手を出した。

 

か弱なその小さな身体は、

私が少し本気で叩いただけでグニャリと倒れた。

 

その直後に、けたたましく号泣し始めた娘。

 

その鳴き声は耳障りで仕方がなかった。

 

「黙らせたい」

その思いに駆られ、さらに手を出しそうになった。

 

何とか一回手を出しただけでその時は終われたが、

私と、その犯人達との違いは紙一重ではないか。

 

「自分のせいだ」

「自分が不甲斐ないからだ」

「自分の努力不足だ」

 

そう自分を追いつめて、

その怒りを自分や他者に対してぶつけて破滅的になるのなら、

 

「自分一人だけでのせいじゃない。

 誰かや何かのせいでもある。

 むしろ、自分はよくやった。自分は絶対悪くない」

 

そう思えるようになった方が

自分自身がほんの少しでも楽に生きられるのではないだろうか。

 

今日はそんなお話。