マメかぁさん。は今日も生きづらい

内向型&ハードモード人生。生きづらい私のためのボヤき沼。

回顧録②:マメかぁさん。は正社員になりたかった。

私の職務経歴書は、一言で言うと「汚い」。

 

大学4年生の時は酷く情緒不安定で、

あの頃の自分にはとてもじゃないけど就活なんて出来る余裕がなかった。

 

大学も単位はギリギリ状態での卒業だった。

父親は私が大学卒業できると分かった時、

電話越しで泣いていたほどだった。

 

大学卒業後はフリーターとして、

当時好きだった古着のショップ店員をしていた。

でも、数ヶ月でクビになった。

 

元々その古着屋が好きだった訳でないし、

情緒不安定なメンタルから職務怠慢な態度が出ていたのだと思う。

 

古着屋をクビになった後、

ようやく私は初めての就職活動をした。

 

新卒ではないものの第二新卒

内定先はすぐに決まった。

とあるメーカーの零細企業だった。

 

今ならよく分かるが、この時点ではまだ自分が「選べる」状態だったのだ。

だけど私は一社内定をもらってすぐに就活を辞めた。

 

とにかく「目先の欲しい結果」が手に入ればそれでいい。

 

この性格が後々の人生に大きく響いてくるのだが、

当時の未熟な私には知るよしもない。

 

この会社は、当初正社員での内定予定だった。

しかし、私は「契約社員」となった。

 

研修期間に私の教育係だった先輩と

折り合いが悪くなったのが原因だったと思う。

 

コミュニケーション能力に疑問を感じられたのだろう。

それで研修期間終了後に正社員となるはずが、

一年間契約社員となることになった。

 

対人関係や世渡りが下手なのは今も変わらない。

当時は情緒不安定で感情のコントロールが出来ず、

また、社会や仕事そのものを舐めていた部分も大いにあった。

 

でも、今になって分かるが、私にももちろん責任はある。

しかし、私が居た「環境」そのものにも責任があった。

 

「環境によって人は良い方向へ開花することもあれば、

悪い方向へと自滅していくこともある」

 

この意味がよく分かる。

 

結局、この会社も1年足らずで退社した。

 

退社後、情緒不安定な心身の治療のため、

私はしばらく傷病手当金をもらいながら休業していた。

 

これまた今になって思うのだが、

この時に職業訓練などに通って

何か新しい資格や技術の取得をしていたら良かったのに、

 

私は「自分は一人でも出来る人間」だと勘違いして

自営業を始めたのだ。

 

とにかく、精神疾患の病院通いの無職という状態が嫌だった。

人に胸を張って「私はこういう仕事をしてます」と言える、

そんな仕事がすぐにでも欲しかったのだ。

 

しかし、私は経営のノウハウも何も持っていない。

当然の如くその自営業も赤字が続き、結局2年で廃業した。

唯一の幸いは借金はせず、自己資金内で済んだことだろう。

 

その後も何度か転職を繰り返す。

 

廃業後に内定をもらったのは、これまた零細企業。

しかし、その会社も人間関係や仕事内容が合わず、

試用期間内で退社することに。

 

その次は初めて派遣会社を初めて利用した。

薬品関係の会社でのデータ入力の仕事だった。

 

その会社は1年勤めたが、契約満了期に合わせて辞めた。

同じ配属先に、感情の浮き沈みが酷く激しい

イジメ魔のような派遣社員が居たのだ。

 

立場の強い人や自分のお気に入りの人にはゴマをするが、

それ以外の人にはキツく当たる。

 

しかも、ある日突然その人の「標的」にされるのだ。

 

私もそうだった。

昨日まで普通に接していたのに、

その日から突然私に対するその人の態度が変わった。

 

その人の波がおさまるのを

おとなしく待てば良かったのかもしれないが、

 

その人以外にも業務時間中に堂々と長時間サボったりする人がいたりと、

「仕事に対するモチベーションが低い人達」が多く、

当時の私はこれ以上の長居は無理だった。

 

その次も派遣社員として転職したが、

転職先は日本でも有名な某大手会社だった。

 

ここでは、これまでで一番長い2年間勤務した。

 

ここでも人間関係や仕事内容に色々あったものの、

やはり大手ならではの「余裕」みたいなものが

今まで勤めてきた会社とは違って感じられ、

それが自分にしては長く勤められた要因だと思う。

 

この時、私は33歳だった。

この会社を辞めた理由の一つは「正社員になりたかった」からだ。

 

年齢的に正社員を狙える転職活動を出来るのは

今しかないと感じた。

 

正社員にこだわる理由は、

やはり自分が今まで一度も正社員になったことがなかったからだ。

 

仕事を短期間でコロコロと何度も変え、

「社会への適応能力がないダメな人間」だという自己イメージを

何とかして打ち崩したかった。

 

大手会社で2年勤め、職場から仕事ぶりもある程度評価してもらい、

「自分は出来る人間」とさらに思い上がっていたのだ。

本当は自分の実力だけでなく、環境のおかげであった部分も大きかったのに。

 

正社員の転職活動はやはり大変だった。

年齢的なこともあるが、そもそも職務経歴書が汚い。

 

本当はやってはいけないことだが、

実は職務経歴書は多少見栄えが良くなるように誤魔化してもいた。

それでも書類審査で落ちることが多かったけど。

 

そうしてようやく正社員として内定をもらったのが

前回ブログに書いた家族経営の零細企業だった。

 

本来希望していた職種ではなかった。

当時、親身になって相談に乗ってくれていた

ハローワークの職員さんから

「本当にその会社でいいの?もう少し転職活動続けてみたら?」

と言われた。

 

だけど結局、私はまたもや

「目先の欲しい結果」が手に入れることが出来て

それで満足してしまったのだ。

 

今思うと最初から違和感が多い会社だった。

経営陣との最終面接や試用期間。

 

違和感だらけだったが、

ようやく手に入れた正社員という立場を何としてでも維持したかった。

 

それに、この当時は自分自身に対して

仕事を短期間でコロコロと何度も変える

「社会への適応能力がないダメな人間」という

ネガティブな自己イメージの方が強く、

会社という「環境」の方が悪いという考えは全くなかった。

 

だけど、結局は長く持たなかった。

 

辞める時は流石に悩んだ。

年齢的に正社員になれるのはこれが最後かもしれない。

 

母親に相談した時もやはり反対気味だった。

母は4人の子供を育てながら定年まで勤めあげた

いわばワーキングママである。

 

「会社自体を辞めるんじゃなく、

妊娠して産休育休に入ればいいのに」

 

そう言われた。

 

確かに賢い(?)やり方なのかもしれない。

ただ、メンタルは弱いくせに義務感や責任感だけは強い自分には

そんなことはできなかった。

そう自分の都合よく上手に世渡りなんて出来なかった。

 

ちょうど夫と結婚して10年の節目を目前としていた。

 

元々、機能不全な家庭で育ったこともあり、

子供が欲しいという願望は正直あまりない人間で、

どちらかというと仕事のキャリアを積みたいタイプだった。

 

しかし、こうも仕事をコロコロ変える自分を見て流石に、

自分がキャリア向きの人間でないことが嫌でも自覚出来た。

 

毎日働くための気力体力のキャパが少ない。

マルチタスクは苦手。

プロ意識は高く短期的には質の高い仕事が出来るが、

その分プライドが高い。

0か100かの極端思考で、グレーゾーンが極めて狭い。

他人にも厳しくなりがちで対人関係で衝突がおこりがち。

 

よほど良い上司や環境に恵まれない限り、

自分にはそもそも組織勤めが難しいということが分かった。

 

 

 しかも、これまで選んできた職場がどこも

気力体力忍耐力を求められるような体育会系のところばかり。

自分の性質に合わない環境ばかり選んでいる。

 

それで結局長く続かず、

自分が悪いのだと自己イメージがまた低くなる。

 

そんな負のループばかりを積み重ねてきた。

私のこれまでの職務経歴はそんなものだった。

 

自分がコレだ!と思った道の先はいつも行き止まり。

安心して長く歩ける道なんて、私の人生で一度も現れたことがない。

何度も何度もつまづく。

 

私の「正解の道」は一体いつになったら現れるのだろうか。

一生現れないのだろうか。

一生懸命考え、悩み、傷だらけになりながらも

何度も何度も立ち上がって歩んでいるのに。

 

神様はどうして私の人生をこんなものにするんだろう。

 

この時の私には再び立ち上がる気力はなかった。

 

キャリアを積むことは諦め、正社員を辞め、

建前上、「妊活」という道に逃げたのだった。